今から約1200年前の西暦835年1月8日に空海は、後に後七日御修法(ごしちにみしほ)と呼ばれる護摩焚きの祈祷を天皇の健康と国の繁栄を願って、今の京都御所の宮中で始めました。 それは1月8日から7日間にわたって毎日行われます。
それから綿々と受け継がれたこの7日間の護摩焚きの御祈祷は、明治に入って京都の東寺に場所を移して、秘儀中の秘儀として今日も行われているのだそうです。
東寺のホームページには境内の案内が登場しますが、その敷地内の南西の角の建物には名称が登場しません。 小子房の南、鎮守八幡宮の西の建物です。 その建物こそが1年の中でこの7日間の護摩焚き祈祷だけに使われる灌頂院になります。
そこへ天皇陛下の身につける御衣(ぎょい)が届けられ、全国から選ばれた15人の真言宗の僧侶が1日3回、7日間で計21回の護摩焚き祈祷が行われるそうです。 その御衣に祈祷の波動が染み込むことになる訳です。
これは元々、唐の都にいたインド人僧侶アモーガヴァジュラ(不空三蔵)が唐の皇帝の為に始めたバラモンの祈祷が始まりだとか。 それを遣唐使として派遣された空海が習って帰国し、平安時代初期の835年から天皇陛下と国家の安寧を願って、京都御所の中の真言院の建物の中で行われるようになったそうです。
まさに日本で最初のヤギャと言えます。
その祈祷はこれまで参加する15人の僧侶以外、誰も見ることが出来なかったわけですが、2018年にNHKに特別に後七日御修法の『習礼』(しゅれい)の撮影が許されることになり、これらの映像を見ることが出来ることとなりました。
この行事で興味深いことの一つが、これまで非公開であった理由です。 それはこの祈祷の中で、御宝算と言う天皇の生年月日とお名前が書かれたものが使われる為だそうです。
奈良時代の『長屋王の変』の呪詛にまつわる事件に想いを馳せるまでもなく、権謀術数の渦巻く宮中で、昔は名前と誕生日の情報で呪詛(呪い殺す)さえ行われたとか。
そう言えば、この現代の日本でも何かの申込み用紙に意味もなく生年月日の記入を求めてくる風潮が一部で見受けられますが、古来、誕生情報はそんなに簡単に取り扱うべきものではなかったことがわかります。
かようにインドからの祈祷の伝統は、中国を経て日本に伝わった次第ですが、世界が小さくなった今の時代、私たち庶民もそのようなヤギャの祈祷の恩恵を直接受けることが出来る良い時代になりました。
(本文中の写真は全てNHK番組『京都の大宇宙 東寺』より)
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