まだ来ぬ危険を回避し、正しい道を歩むことで、今世に生まれた人生の目的に沿った生き方を実現するためのものです。
古代叙事詩の一つ『バガバッドギータ』の中でヤギャは、3つの観点から語られています。
1つに、正しい行動とは、見返りを求めない献身的な行いであり、ヤギャを行うこともそのような行為である。
2つ目は、人は願いを持つ生きものでもあり、それを叶える為の具体的な手段としてのヤギャです。 そこでは果物、お花、樟脳、ギー、ミルク、菓子などの捧げものが祭壇の護摩焚きの火(アグニ)に降りてくる大いなる”自然の神”に提供され、その余りがプラサードとして、ヤギャの参加者に下賜されます。
3点目は、すべての生き物は食べものから生まれ、養われていること。 そしてその食べものの源は慈雨として降り注ぐ”雨”であり、その雨がもたらせるのはヤギャを行うからだ、と言います。 ヤギャは森羅万象の源とも言えます。 ヤギャを行いたい、という深いレベルでの願望は、つまるところより良く生きたい、という願望そのものでもあります。
ヤギャには火の中で捧げ物を焚いて行われるホーマ(護摩焚き)というものと、火にくべることをしないプージャ(祈祷)があります。
仏教の儀式の中で護摩炊きというのがありますが、その『護摩』という言葉は、サンスクリット語のこの『ホーマ』に当てられた漢字です。
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